のらねこブログ

日々の日記

自分ができること

自分の出来ることを考える


社会で私の出来ることなど少ない


家庭があり、子どもがいて

(大黒柱が病気で欠場のため、女も稼ぐために社会にでる

個人的な理由は最早どうでもよい)


私が社会に貢献できるものが少なくても

私は自分の出来ることを精一杯する


同じ様に悩んでいる職場の同志に声をかける


そして、人の能力の、色々を活かせていないと思えば、会社に声を挙げる


出来ない事を卑下する必要はない

出来るように努力をすればいい


人には色々な才能がある

それを使いこなせない会社なら

人を大切に出来ない社会なら

私は叫ぶ

人の出来ることを押し潰す社会など先が見えている


懸命に働く人を大切にしてこそ

会社も社会もようやく活きるのだ

明日からも日常の仕事をガンバルヨ

今日夕方、訪問者のあとに

突然に感情が溢れて

泣いた


私は普通の人間のふりを

何処まで続けるんだろうかと


普通の人間のふりをしているせいで

PTAとか子供会とか、普通に役割分担は回ってきて

普通にこなしているふりを

せなあかん(薬を飲みながら…)


薬を飲みながらでも、普通に生きているようなふりをするのは、

只1つ、

子供たちのため


私が潰れてしまったら

子供たちはどうやって生きていくのか


ギリギリラインでも、

きっと私の今のしんどい事も人生には一瞬であって


明日からも、

私は普通の人間だ、大丈夫って

言い聞かせて

生きる。

(一番迷惑被っている子供たち、申し訳ございません)

愛と優しさについて

面白く観ている、海外ドラマ、メンタリスト


内容もさながら、

広告が、愛と優しさ ときました。


己の普段の生活に隣り合わせてみる…


愛と優しさ??

(家族はちょっと置かしてもらってね)


誰も与えてなんてくれない、


でも、私の少しの愛と、少しの優しさならば

回りの人に、与えることも出来るやもしれん


愛と優しさ…

深い。その事について考える


それを持つことは困難か


受けた行為への、憎しみ、やりきれない想い…


(嫌な想いをしただけで、その人を拒否するのか?)

それでも、どうしても、私はやはりひとを好きではいられない


普通は他人の嫌な所なんて、どうしても目につく


でも、その人の、良いところも

どうしても、見えてしまう


そうか、私、人間の

どうしようない、業とか、そんなものもひっくるめて

人間自体が、可愛くて、いとおしくて、仕方がないんかもな…

だって私自身が完璧ではないし


完全な人っているのだろうか??


(メンタリストのドラマは、愛と優しさでは片付かない内容やけどね…

でもそれがフィクションであって、

フィクション故に、過酷な状況には、己の想像力がありがとうと言うています。)


違う、言いたかった事は


愛と優しさ

の言葉が古臭くて、ウザいと思われても


それを前面に出して、言い切れる潔さ

が、かえって心地好かった!と言うことかな


愛と優しさ

私が今一番もちたいと思うもの